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【2021年現存】北九州の戦争遺跡 | やっぱり北九州が好き

【2021年現存】北九州の戦争遺跡

【2021年現存】北九州の戦争遺跡

小倉は明治時代から昭和20年まで、

陸軍の部隊や兵器工場があった軍都だったと、ご存知ですか?

戦後70年余りが経過し、戦時下の暮らしや市民の苦労など、

当時の様子を知っている方々が少なくなり、

悲惨な戦争の記憶が風化していくことが今、懸念されています。

戦争の記憶を次世代に伝えるために、

北九州の戦争の足あとをまわってみて、

命と平和の大切さを考えるきっかけにしてみませんか。

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『原爆犠牲者慰霊平和祈念碑』

北九州市小倉北区城内 勝山公園

「原爆犠牲者慰霊平和祈念碑」は、

当初、小倉陸軍造兵廠(注1)に投下される予定であった原爆が、

長崎に投下されたという歴史をふまえて、

被爆者の霊を慰め、平和への切実な願いをこめて、

昭和 48 年に北九州市により建立されました。

この碑と並んで、

長崎市から寄贈された「長崎の鐘」が建立されています。

この「長崎の鐘」は長崎市から複製 が送られました。

実物は、市庁舎1階市民ホールに展示中です。

毎年、8月9日には、原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が行われています。

(注1)〈 小倉陸軍造兵廠 〉

造兵廠と呼ばれていた兵器工場は現在の市役所から、

木町まで広がるとても大きな工場でした。

そのため、小倉陸軍造兵廠は1945年(昭和20年)8月9日には原子爆弾の第一投下目標にされました。

しかし前日の八幡大空襲の煙と曇り空のため、

造兵廠が確認できず、原子爆弾は長崎に投下されました。

この兵器工場は、1945年(昭和20年)までの約12年間使われ、

戦争も終わりごろになると大人だけでなく中学生や女学生(いわゆる学徒動員)も工場で働いていました。

1944年(昭和19年)からは「風船爆弾」という爆弾も作られていました。

『嘉代子桜・親子桜』

引用:https://www.city.kitakyushu.lg.jp/soumu/15700013.html

北九州市内には、「嘉代子桜・親子桜」(注2)の植樹が 行われた場所がいくつかあります。

〈「嘉代子桜・親子桜」の植樹場所〉

門司区 老松公園(慰霊塔前グラウンド西側)

小倉北区 勝山公園(中央図書館南側)

小倉北区 足立公園(忠霊塔前)

小倉南区 文化記念公園(文化記念体育施設管理事務所南側)

若松区 高塔山公園(忠霊塔北西側)

八幡東区 小伊藤山公園(ロータリー側)

八幡西区 皇后崎公園(青山市民センター東側)

戸畑区 夜宮公園(慰霊塔南東側)

(注2)〈 「嘉代子桜・親子桜」について 〉

昭和20年8月9日、長崎市に原爆が投下され、

一瞬にして、町は壊滅的な被害を受け、数万人の方が亡くなりました。

原爆投下時、林嘉代子さん(当時15歳。長崎県立高等女学校4年生)は、

爆心地近くの城山小学校(当時の城山国民学校)で学徒報国隊員として働いており、

他の多くの女学生とともに亡くなりました。

戦後、嘉代子さんの母親の津恵さんは、

娘や一緒に亡くなった女学生の慰霊と平和への願いを込めて同小学校に桜の苗木を植えました。

その桜は「嘉代子桜」と名付けられ、

今は、大木となり、毎春桜の花を咲かせています。

北九州市は、平和への願いが込められた「嘉代子桜」に由来する桜を

「嘉代子桜・親子桜」と名付け、広く北九州市内に植樹を行い、

市民の皆さんに原爆や戦争の悲惨さ、

平和の尊さを伝えていくこととしました。

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『戦時資料展示コーナー』

引用:https://www.city.kitakyushu.lg.jp/shimin/file_0489.html

北九州市立埋蔵文化財センター

戦時資料展示コーナーは埋蔵文化財センターの一角に設置しており、

「軍都北九州」「戦時下の市民の暮らし」など、

テーマごとにわかりやすく資料を展示しています。

(平成28年2月23日にリニューアルオープン)

人々の記憶から忘れ去られようとしている

戦争の惨禍や平和の尊さを多くの市民に伝えていくため開設しました。

戦時下の市民が使用していた日用品や出征する兵士へ贈った品、

また戦地の兵士とその家族の間で交わされた手紙など、

当時の人々の暮らしぶりや、

心情が伝わる戦時資料を展示するとともに、

小倉造兵廠(前出、注1)や、八幡大空襲などについて、

写真パネルなどにより、わかりやすく紹介しています。

また、長崎市の協力を得て、原爆被災資料の展示も行っています。

(所在地)北九州市小倉北区金田一丁目1番3号 北九州市立埋蔵文化財センター内
(電話番号)093-592-3196 (展示室受付)
(開館時間)9時から17時 (入館は16時30分まで)
(休館日)月曜日、年末年始 (12月29日から1月3日)
(注1)月曜日が祝日の場合は開館し、その翌日が休館
(注2)埋蔵文化財センターが休館の場合は、戦時資料展示コーナーも休館となります。
(入館料)無料

『八文字焼』

引用:https://www.city.kitakyushu.lg.jp/yahatahigashi/file_0059.html

昭和20年8月8日に起こった「八幡大空襲」では、

中央、尾倉、前田、黒崎、枝光の中心部が被災し、

死傷者は約2,500人、

焼失家屋は14,000戸にものぼりました。

八幡大空襲による戦没者の慰霊を行い、

また、八幡の平和のシンボルとして、

毎年、8月8日(八幡大空襲の日)とお盆の8月13日~15日に、

皿倉山の八文字焼が行われます。

(日時)毎年8月8日・13日~15日 19時30分~22時

(場所)皿倉山北側斜面(9合目付近)

 

 

北九州の山を里山の感覚で歩いているところに、往時の遺跡が忽然と姿を現す衝撃。実は戦争遺跡が多く眠る地域でもあります。。

『矢筈山キャンプ場(矢筈山)

引用:https://www.yahazu-camp.com/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%88%E3%82%AE%E3%83%A3%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC/

堡塁(敵の攻撃を防ぐ施設)跡は、

時に屋内の炊事場として利用されたり、

歴史を語る展示室として利用されたりと、

今でも活躍の場を失っていません。

そんな姿も、戦争遺跡としては独特な、矢筈山の魅力です。

 

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『高倉堡塁跡(高蔵山)』

ほとんど手入れのされていない高蔵山堡塁があるのは、

地図でいうと高蔵山々頂の南側の少し低くなった場所。

現在は特に利用されていないため、

自然と一体になっています。

初めて訪れる方は、

森の中に突如現れる堡塁との出会いに衝撃を受けるはず。

『砲台山』

足立山の西南西にある、

442メートルの小さなピークが砲台山。

太平洋戦争時に、戦闘機を撃墜するための高射砲が設置されていた、

比較的新しい遺構です

(まとめ)

戦時中は軍都としての役割を果たした北九州。
戦争経験者や遺族が高齢化し、戦争体験の風化が懸念されています。
戦争の悲惨さは後世に語り継ぐべき遺産であり、改めて、命の大切さと平和な世界の実現を切望します。

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